「安楽死」という言葉は「安らかなら……」みたいなイメージをもたせるが、本人の意思も確認せず死に至らしめるのは「殺処分」であり「殺人」です。「本人の意思」だって、状況が変われば変わるかもしれない。「安楽死」という名の殺処分を望む人に「実現可能な法整備」をするのではなく、そう望む必要のない手厚いケア、福祉を法整備することが必要なのです。財源?万博だのオリンピックだの祝賀資本主義をやめたらできるのでは?