例えばさ、「社会」のなかから「役立たず」を一割殺処分したとする。しばらくしたら、また一割、その後も一割……。そうなると、いずれ必ず自分の番が来るよね。「役立たず」の理由が、「ときの権力者に気に入られなかった」くらいで、殺処分されるとしたら、どう?
そうでなくても「生存権」は皆にあって、侵されてはならない権利。なのだけれど、それがわからない人は、まず自分ごととして考えてみるのがいいかもしれません……。
例えばさ、「社会」のなかから「役立たず」を一割殺処分したとする。しばらくしたら、また一割、その後も一割……。そうなると、いずれ必ず自分の番が来るよね。「役立たず」の理由が、「ときの権力者に気に入られなかった」くらいで、殺処分されるとしたら、どう?
そうでなくても「生存権」は皆にあって、侵されてはならない権利。なのだけれど、それがわからない人は、まず自分ごととして考えてみるのがいいかもしれません……。
「安楽死」という言葉は「安らかなら……」みたいなイメージをもたせるが、本人の意思も確認せず死に至らしめるのは「殺処分」であり「殺人」です。「本人の意思」だって、状況が変われば変わるかもしれない。
「安楽死」という名の殺処分を望む人に「実現可能な法整備」をするのではなく、そう望む必要のない手厚いケア、福祉を法整備することが必要なのです。財源?万博だのオリンピックだの祝賀資本主義をやめたらできるのでは?
「介護が大変?なら、殺させてあげましょう!」というの、誰も幸せにならないよね……。
一応、つなげておきます。
反吐が出るぜ!
上松正和
〈多くの意見はあるだろうけど、重度の障害を持って生まれた子の安楽死が認められる社会である方が良いと思う。
「産んだのだから死ぬまで責任を持てよ」と両親に責任を負わせ続ける社会は、余りにも当事者達に無慈悲過ぎる。両親が育てるのだと決めたら全力応援するのは前提で。両親の人権も大事。〉
https://x.com/Uematsu1987/status/1921217731560419796?t=5CyHxGloaiVJoc-a8nBoFg&s=19
いやしくも医者ともあろう人間が「親だから、親戚だからと責任を閉じて考える必要はない。社会で支え合おう」となぜ言えない。
そして「重度障害児」の人権はどこへ?
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