約4歳で戦争孤児になった祖父は、末期癌で余命宣告されている今でも、「たぶん弟がいた」という記憶を抱えて生きてるし、もう正確に辿ることすらできない自分のルーツに思いを馳せている。
祖父は「養護院ではしょっちゅう仲間が死んだけど、そしたら俺の分の食事が少しでも多くなったから、子供の自分は嬉しく思ってしまった」と私に話したし、残りの日々でいっぱい好きなものを食べようというときでさえ「早食いの癖がどうしても抜けなくて、恥ずかしいから高級店での外食はしたくない」と言う。
私が進学で大阪から東京に来るとき、祖父は「東京は怖いとこやで、行ったら帰って来れんなるで」と冗談半分に言った。満州から東京へ来て、東京大空襲で戦災孤児になり、大阪までたらい回しされてきた祖父の言う「東京は怖いとこ、帰って来れん」という言葉に、たとえ冗談だとしても私は何も返せなかった。
戦災孤児の問題は全く終わっていない。戦争孤児に親の情報を提供するのは本来、戦争を起こした国家の責任なはず。戦災孤児に関する調査や、情報の集約が必要だったし、戦災孤児への支援も必要だった。国は今からでも機関や窓口を設けて、せめて存命の当事者やその子世代以降を救済して然るべきだと、私はずっと思っている。
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