“今でも1970年の大阪万博が語られる時には、必ず登場する各パビリオンのコンパニオン。彼女たちの多くが地元大阪や地方の女子大生でした。しかも会期限定の万博ですから、雇用形態も当然非正規雇用。実際に働きはじめると募集時の条件が守られないことも多かったようです。
1970年の大阪万博は過酷な労働環境だったため、大阪総評が代表して万博協会と協議し、博覧会場内に労働相談所を設置したり、万博内で働く人々による労働組合の結成をサポートしました。当初、女子大生たちを中心に結成された「エキスポ綜合労働組合」は、あっという間に1000人以上が加入したそうで、後日さまざまな労働争議に団結して対抗する礎となり、絶大な力を発揮したそうです。最初は団体交渉を行っても相手にしてもらえなかったそうですが、ひとたびストライキを起こすと状況は一変し、要求が通ることが多かったといいます。
事実、万博期間中はストライキによるパビリオン休館もあったそうで、特に外国のパビリオンは暴力や不当なパワハラ、セクハラが横行していました。華やかな国際博覧会の裏側は殺伐としていたようです。”
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