アメリカの「リベラルの敗北」を語る知識人を見ていると、聖書の一説「心の貧しい者は幸いである」というフレーズの変遷がいつも思い出されます。
ずいぶん昔に読んだので、どの本に書いてあったのか忘れてしまったのですが、大元の原典の言葉は「貧しい者は幸いである」で、「心の」はついていなかったそうです。
それなのに、伝播の過程で「心の」と付け加えられてしまう。
なぜそんなことが起きたのか。
その理由は、実際の経済的に窮乏した「貧しい者」になるのは大変だから、より語り手/聞き手にとって楽な「心の貧しい者」に置き換えられた、ということでした。
貧しい暮らしは大変ですが、一方、心が貧しいかどうかは定量化できませんし、心の貧しい者には、特に苦労せずすべての人がかんたんになれますから。
「リベラルの敗北」に話を戻すと、経済的な格差の話にしてしまうと、自分の置かれている経済的優位性を否定しなくてはいけなくなるので、「心」=「リベラルの考え方」の問題にして、自分の特権性から目を逸らそうとしている気がしてしまうのでした。