@moriyaki@fedibird.com 特定のソフトウェアプロジェクトではなく、GPLがコミュニティかと言われるとどうなんでしょう…
GPLの「感染性」から広い意味で「一つのコミュニティ」として成立していると言えるかもしれませんが、実際には、ライブラリのライセンスとしてはMITやLGPLが好まれやすく、GPLの強い結束性が際限なく広がることを良しとする「原理主義者」あるいは「革命家」的な態度は少数なのではないかと思います。
ストールマン自身は、特定のソフトウェアへのコード貢献が突然企業に「乗っ取られた」怒りからGPLを作ったと話しています。このことから、GPLが単一のコミュニティを形成するのではなく、独立したそれぞれのソフトウェア開発コミュニティにおいて「ソフトウェアの自由を守る」ことを通じて、「自由なハッキング」という価値観を広めるという意図でGPLが書かれたのではないかと思います。
昔から技術者には少なからず偏屈者やわからず屋はいるものであり、あまり不快な経験を突き詰めても仕方がないのかなと私は思います。ストールマン自身がEmacsという設計の古いソフトウェアに執着するある種の偏屈者であり、またGPLの思想に過剰に共鳴する偏屈者を引き寄せやすいというのもまた事実でしょう。しかし、偏屈な性格をどう陶治するかは単に個人の課題であり、GPLをライセンスとして採用した開発コミュニティが、GPLの感染性を求心力や継続性の保証として活用し、成功しているというのも事実だと思います。
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ゆりは (yuriha@misskey-square.net)'s status on Friday, 03-Jan-2025 21:51:02 JST ゆりは