【2/2】(塚本さんが終戦を迎えるまで)の間、父・保次さんの生死は不明なままだった。
実は、6月23日の第32軍司令官・牛島満中将の自決後、「祖国のため最後まで敢闘せよ」という司令官の命令に従い、沖縄本島南部の洞窟に潜伏していた。
通信技術の専門で航空情報隊の隊長だった保次さんは、終戦への動きも電波を傍受して察知していたとみられるが、8月17日になって安全を確かめながら米軍に投降。その際に米軍将校から、降伏を拒み続けている部隊への説得を依頼された。
保次さんは「おこがましいが、友軍を救うためならどんなことでもしよう」と返答。8月19日に渡嘉敷島と阿嘉島の部隊に対し、「誠に残念であるが、天皇陛下の命令に服し、連合軍に降伏することが日本軍の義務である」と私信を送り、投降へと導いた。
「『最後まで敢闘せよ』と命じながら、司令官が自決した。そのとき、父はどういう気持ちだったのか。『こんちくしょう』と思っていたんじゃないか。司令部がなくなっちゃったのに、兵たちには自分たちだけで戦えなんて、勝手すぎる。だから父は米軍と戦わず、部下とともに隠れながら命を永らえることを選択したんじゃないかと思います」
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