@gnusocialjp@gnusocial.jp
長文にかかわらず、全て読んで返信いただきありがとうございます。
私が議論している点は、「しごく真っ当なこと言ってるだけなのに、お気持ちに寄り添えとか、不当な言いがかりをつけられている」という認識が正しいかどうかという点です。社会変革のための効率的な手段については、私は主な論点にはしていません。
1. マクロな社会の秩序や安定性を脅かす発言は、社会から排除されやすいです。そのような排除に対抗するためには、マクロな立場からみても、論理的に正しく正当だという基礎があるべきです。マクロな立場からみて、不当・不正な発言を自分が公にした結果炎上してしまうのは、周囲の頭が悪いせいではなく、自分が間違っているからではないかと私は考えます。
自分が不動産屋で、「治安の不安を根本解決したい」と個人的に相談されたわけでもないのに、「根本解決したいなら治安のいい地域に引っ越せばいい〜」というような「事実」を提示することこそ、場や文脈を考慮しない頓珍漢な発言と思います。
ASD者は頓珍漢な発言をしてしまいがちであり、そのような発言を周囲から咎められる機会も比較的多いかと思いますが、自分の思った通りの議論にならないことを「頓珍漢」と表現し、他者を牽制するのは建設的だとは思えません。定型発達者からASD 者に向けられる「頓珍漢なことを言っている」という幾分攻撃的な意見を内面化しすぎているように私は感じました。
2. ストレスを感じたから、それを社会的な正しさを考慮せずに不満のように書いてインターネット上に一般公開し、ストレスを発散するというのは、頭の悪い人の行動のように思います。
そうした行動が許されないとまでは思いませんが、「お気持ち」に共感する数の多い方が勢いを得ていじめられ、ますますストレスになる結末もやむを得ないと思います。マジョリティの側に立てばいじめられる側にならなくていいなというぼやきは理解できますが、傍から見ると、正しく立派でない行動を羨む必要もないのに、みにくい僻みだなと思ってしまいます。
一般大衆の気持ちを尊重するために回りくどいことをするのは我慢できないかもしれませんが、自分が社会正義として正しいと信じる発言をするために少し考慮をするくらいのことなら我慢できるかと思うのですが、そうでもないでしょうか。
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ゆりは (yuriha@misskey-square.net)'s status on Tuesday, 05-Nov-2024 23:51:17 JSTゆりは