私は、例えば学生時代はワンゲルで、男子も女子も入り乱れて(圧倒的に男子の多い部活でしたが)何日も山に入り、同じテントで寝て、同じ釜の飯を食い、泣いたり笑ったり喧嘩したり「苦楽を共に」した「仲間」がいますが、
そのうちの特に男子(男性)の右傾化(ネトウヨ化)は半端ないと睨んでます(リアルな関係での「自民党批判などについていつもガーガー言ってる“サヨク”」の私の前では、あの人たちはひたすら沈黙を守っていますが、ふとした言動の端々や、または「風の噂」で、そう言ったことは窺い知れる。体育会系出身でその後サラリーマンとして社会に適応していった男子たちですし)。
当時の同期の男子も前後の学年の男子も、今は「日本の世間の60代男性のご多聞に漏れない」感じかと。
ここで私が問題にしているのは「内心」ではなく表に出てくる言動の話です。
“本当の内心の話”では、私は自分自身は当然として、共産党だろうがC.R.A.C.だろうがその根として共通するものは万人にあると思ってます…商売柄。
ただその話をしてしまうとキリがない…というか「万人の心にはその芽がある」と自覚出来る人は、どちらかと言えば現実の言動で悪さをする確率はむしろ減るのは理の当然ですしね。