人間がやることなのでどこまでいっても間違いはつきものだし、えん罪というのは必ず起こりうる。完全になくすことはおそらくできない。それでも間違いを犯せば社会的に非難されるし私も非難するけど、裁判官が誤った判決を下したことに対して個人として責任を問われることはない。
でも「袴田事件」の問題はそんなものではないわけ。公判での証拠からは有罪以外に判断のしようがなかったとか、何か見落としをしたとかいうレベルではなく、また「疑わしきは罰せず」とか「疑わしきは被告人の利益に」を通り越して、有罪の立証に必要不可欠な自白の取り調べが拷問によってとられ違法なものであるということ、したがって証拠としての能力を有さないことは当時から明らかになっていたし、血痕のついた5点の衣類やズボンの切れ端が出てきた経緯も当時からねつ造だと指摘されていたわけで、そうしたことをあえて意図的に無視して有罪判決を出し、控訴や上告を棄却し、再審請求を棄却してきたわけだから、これは裁判所、裁判官によっても故意に作り上げられたえん罪なわけで、裁判官個人としてもさまざまな意味での責任を問われて当然のことと言わざるをえないのである。