愛国主義の問題と歴史認識に関する日帝(日本)批判の問題に関しての批評は中文のネット言論でも熱量が前者に傾いているように感じられ、私がパッと思いつく後者の具体例があまりない。ネットの批評言論で活発な世代や層と関心がズレるのではないかと想像している。これらは日本側で意識的に勉強しないといけないもの。
このような状態なので把握がかなり甘く、以上のことはかなりフワッとした認識で書いた。
あくまで個人の想像としては、日帝がやった戦争犯罪などに関しては規模の見積もりなどはともかく嘘は書いていないだろうと思う。やったことが事実としてかなり悪い。
これに加えて言論統制によって流通するコンテンツや国内問題の言及に制限があり、公許の認識、推奨されるトピックや主張にコンテンツが偏るということ、「間諜」摘発の奨励やデジタル監視など抵抗の困難さも増していると思う。
目的として排外主義があるというより、言論統制と愛国・軍国主義の悪循環ということなのではないのかと思っている。これは表立ってアメリカなどが批判しないだけで米国植民地の日本もそう(植民地主義を「同盟」に言い換えると現代的でエシカルな雰囲気になるね)。