コロナウィルス禍において「誰の」いのちが見捨てられるのか、ということついては、もう少し考えておくべき問題がある。昨年夏から今年のはじめにかけて、政府によって強行されたGoToトラベルキャンペーン政策においてよく話題に上がったのがm「『命』か、『経済』か」という言葉であった。「そんなもの、命に決まっているだろう」「経済を動かすのは生きている人間なのだから、命あっての経済だろう」「両社が比較対象になるということ自体がおかしい」というのはなるほどその通りである。ただ、「命か、経済か」という言葉で実際には何が意味されているのか、ということをもう少し考えてみる必要がある。