→ この作品の読後感が、日本語で書かれたフェミニズム文学のどの作品ともっとも近いところにあるだろうかと聞かれたら、笙野頼子作品であるように思う。
現時点で少なくとも性の政治という観点からは笙野氏とまったく異なる立場に立つ李氏が、その立場の違いを宣言するかのような作品を書くにあたって、笙野氏の問題設定を引き継ぎ、しかしそれをまったく異なる方向へと展開する主題と形式を選んだように見えることについて、その敬意と決別の表現について、考えている。(これは偶然の結果ではなく、李氏の知的で意図的な選択の結果であるように、私には感じられている)