ある者は戦後民主主義を愚直に生きようとし、それとサディズムの折り合いをどうつけるか、理論的考察を重ねます、。それは、「SM好きは精神病ではない」という脱病理化を欧米よりいち早く打ち出したものでした。一方でそれに馴染めず、戦前の夢をマゾヒズム的に昇華させた小説を書く者もいます。
で、この後者が『家畜人ヤプー』を書いた沼正三なんですね。今では「日本帝国主義への諷刺」と解釈されることもある『ヤプー』ですが、初出の雑誌に当たった著者は、「(その)世界にマゾヒストはおらず、マゾヒズムも存在しない」と論じます。伝説ばかりが先行する言説に一石を投じたのです。
むしろ『家畜人ヤプー』は、戦前のエリート男性が敗戦経験を経て、もはやどこにもない神国日本を再見するためにマゾヒズムを利用したものであると著者は論じます。私は『ヤプー』読んだことないのですが、抱いていたイメージを一転させられ、原典に当たる重要さを痛感させられました。