親ができるのは、娘をどうするか(も大事だけど、それ以上に)自分がどう言う態度を取るか。この話のように奴隷のようになってしまってはいけない。これでは彼女のおかしさ(症状とは言いたくない)を親がわざわざ助長させている。所謂「イネイブラー」になってしまっています。
そうすれば必ず上手くいくと言う話ではもちろんないけれど、娘をどうするではなく、親(家族)は「自分ができること」をするしかないので。私がいつも繰り返し書いている「境界(バウンダリー)の問題です。娘といえども他人を変えることはできないけれど、自分の行動は意識的に変えられます。
まだまだ日本がとても物質的に豊かだった二、三十年前くらいまで、日本の特に家族療法の分野では、所謂「引きこもり」の青年(男女とも)の親への家庭内暴力の問題が花盛りだった。昔は家庭内暴力(DV)と言えばイコール子から親に向かうものでした。
そう言う意味ではこの話はちょっと懐かしささえ感じる。ただあの頃の家庭内暴力は家の中だけで繰り広げられていて、問題は普通、外には出ませんでしたから、やはりこれはとても新しい話なのでしょう。
私も詳細は見てませんのでわかりませんが。娘の持って生まれたものもあるでしょうけど、明らかに家族のバウンダリーが異常ですよね。