『スピ』って言葉が批判や揶揄のように使われてるのを見ると、なんか『バカにしていい対象』として見られているんだなって感じる。そして同時に自分自身にも同じように社会批判のつもりで属性呼びを使ってデカ主語で語るときあるし、属性で纏めて『だからそういう奴等はダメなんだ』に帰結させては自分の苛立ちを落ち着けようとしてることあるな、とも思う。“奴等”という言葉は人をグループ化して線引きをし『こちら側とあちら側』と二分にして問題を単純化したい時に出てくる言葉。批判力の底力のない社会では、批判できる人に負荷が大きいからね、批判の中である種の単純化が起きてることを私は批判する気になれない。そんな時、私はネットミームというハイコンテキストな単語を使う気がする。つまり『スピ』という言葉が批判として使われてる時は、それはスピリチュアルそのもののことではなく、ハイコンテキストなネットミームとして使われてるのだろうと思う。だから私は“スピ”という言葉を批判として使ってる文章は、その奥にある文脈と意図を嗅ぐようにする。