@lematin
分かる気がします。
(ちょっと信仰告白みたいになりますが)私は、彼のいくつかの映画に文字通り人生を変えられてしまったと自認するくらいにはイーストウッドファンですが、
彼の映画においては、
「受難する女性の表象」があまりにも多く、
主人公は常に先手を取られている受動的(受苦的)な存在であることが多く、
外界とはたいてい共約不可能で前提や文脈の共有に失敗していることが多く、
やっと手にした絆は(スピリットの共有という点で)強固だが排他的でもあることが多い。
というようにかなり屈折した特徴を有していると思います。
ところが、例えばグラントリノだと、上に挙げた特徴を全て有しているからこそ、怪物的に優れた映画になってしまっている(グラントリノは撮影や編集など技巧的にもハイレベルです)みたいなこともあって、彼は強情なホワイトリパブリカンなので本当に悔しいのですが、一筋縄ではいかない恐るべき映画作家だといつも困惑させられています。