前にも書きましたが、私は、震災後Twitterでは「怒らない人」と思われているくらい、温厚ひとすじでユーモアを絶やさないキャラを演じていたのですが、実際のところ、震災から3年くらいは、毎日号泣していました。
でも、変に注目を浴びてしまったから「がんばらなきゃ」となぜか思っちゃったんですね。
やめときゃよかった、と今は思っています。
人間、悲しむときには悲しみ、怒るときには怒る必要があります。
「がんばる被災者」を演じ続けてきた経験者としていいますが、「がんばる被災者」を演じさせる取材者にも大きな責任があります。
被災者側は、「自分ががんばらなくては」というただならない緊張感とともに、ここで取材を受けなければ「見捨てられるのではないか」という強い不安感を抱いているのが常だからです。
どういうハレーションを出演した被災者が受けるかわからない不安定な状況のなか、被災地の外にいる物見高い視聴者のために、被災者を差し出す必要があるのか、もっと違う番組のつくりようがあるのではないか、と思います。