ローティのようにすべての抽象概念を「偶然性によるもの」として相対化するのは一つの哲学的態度ではあるだろう。しかしながら、このアプローチにはきりがない。「国家」「貨幣」「市場」「資本主義」「株式会社」「法律」などの概念も、言葉による抽象概念には違いない。これらも、「偶然性によるものであり再記述が可能なもの」としていったん保留、排除して考えた方がよい概念といえるだろうか。
「人権」(ここでは国際人権法の体系)は、「法律」の隣にある概念といえる。ローティを用いて言えば、国際人権法も「歴史的な偶然性による再記述可能な言葉」ではあるのかもしれないが、しかしそれは私たちの社会的合意(国連決議、各国の条約批准)に基づく明文化された決まり事である。人権を排除する立場を徹底するのであれば、例えば「民主主義」や「資本主義」や「アメリカ合衆国憲法」も同様に排除して、ゼロベースで考えなければならない、ということになってしまうだろう。
人権は大事な社会的資産だ。哲学的に批判することはもちろんあってよいが、それは悪用されないような言葉を選んで語られることが好ましいと考える。
(おしまい)