もっとも、ドローンやAIといったテクノロジーの誕生を待つまでもなく、大日本帝国がアジア各地に仕掛けた戦争は十分に「現代的」なものだった。wikiの「戦争論」の項を読んでいたら、クラウゼヴィッツを日本に紹介した人物の一人に森鴎外がいたそうな。こやつは「かのように」という顰めっ面しい短編を書き、軍医として参じた日清日露戦争では脚気の対応を誤って三万くらいの兵隊を死に追いやっている。「かのように」は、近代世界に追いつこうとする日本でいかに天皇制を存命させるかというテーマで苦悩する知識人を描いたものだった(たしか)。
これもwikiの受け売りだが、クラウゼヴィッツの理論においては、実際の戦争において、暴力が極限的に行使されるとは考えられておらず、そこに政治が介在すると考えられているとのこと。第一次大戦時のドイツの右派はクラウゼヴィッツが政治の概念を戦争の上位に据えたことに異を唱え、いや戦争が政治の上位にあるのだと主張したのだという。さもありなん。
同じく、明治から昭和にかけての日本国にも「政治」がなかったと言える。そして現在のイスラエルにも。
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Satoru Hasegawa (tsbasatoru@toot.blue)'s status on Friday, 23-Feb-2024 09:50:04 JSTSatoru Hasegawa