ほぼほぼデンブロフさんの議論を借りたかたちだけれど(そう明言もしている)、ジェンダーに関してまず「真のジェンダー」についての存在論(それは客観的で物質的な存在なのか、主観的で心的な存在なのか、とか)を最初に置き、社会的な扱いなどについてはそこから導くようにするというアプローチが、反トランス側に採用されるのであれ、トランスの人権を訴える側に採用されるのであれ、本当は人権をめぐる政治的な対立であるものを形而上学的な対立だと見せかけ、客観vs主観のような誤った枠組みのもとでしか議論が進まなくしてしまう問題を抱えているというのは、本当にそう思います。