過去の知見を蓄積しておけば、次になにが起きるかをあらかじめ見据えた対応が取れるのですが、日本の統治機構にはそれがまったく備わっていないので、当然起こるべきことが起き、その結果が目の前に現れてから大騒ぎして弥縫策を連発し、それがさらに事態を悪化させる、という福島で起きたようなことを毎回毎回繰り返すのだと思います。
当事者にとってはそれそのものが大災害で悲劇的なのですが、距離をとって神の視点から眺めてみれば、まさに「ドリフのコントか!」と突っ込む以外ないくらい、毎回お決まりのドタバタ劇で、お正月のお笑い番組も必要ないのでは、と思います。
悲劇と喜劇は紙一重、というよりも、同じ出来事の視点を変えたものにすぎない、ということも実感としてよくわかります。