実際に受け入れられている用法を身につけもせず調査もせず概念的な探究をされても、「自分にはこう見える」という話を出発点に延々と自分の思い込みを音節化していくだけになりますし。だからこそ偏った見方をそもそもしているひとからは、哲学のフレーバーをまぶした偏見が出て終わるわけで。