哲学者が首を突っ込んでマイノリティの生に関わる概念について訳のわからないことを言って批判されるとき、問題となっているのは「当事者でないものが議論をするな」ではなく、「分析対象となっている概念の前理論的な受け入れられた用法を身につけてもおらず、調査する気もない者が、それゆえに本来なら原理的に不可能なはずの概念的探究をおこなっていると称して自分の勝手な想像を語るのをやめろ」ですよね。
きちんとその言葉の用法を身につけているひとが論じたなら、例えばシスジェンダーだと明言しているキャサリン・ジェンキンスさんによるジェンダーアイデンティティ諸論文は、「議論な不十分」などの批判はありつつ「そもそもこんな論文に価値はない」みたいな方向の避難は特にされず、このテーマの蓄積のひとつとして受け入れられているように見えます。