暴力の話から、平和と人権の話に戻ります。
平和と人権はフィクションです。もっとも、国家も貨幣も、法律も株式会社も、宗教も学問も、自然界には存在しない人工物であるという点でフィクションです。フィクションを馬鹿にしてはいけません。
国家権力には暴力(軍隊、警察、ほか法執行機関)の裏付けがあり、貨幣価値には徴税という裏付けがあります(租税貨幣論による)。では平和と人権にはどんな裏付けがあるのか?
国連は平和と人権を守る組織。その裏付けは第2次世界大戦の戦勝国である安保理常任理事国が参加していること——のはずですが、現実には安保理はしばしば機能不全に陥り、国連軍は組織されません。
では実際の国連の裏付けは何か。設立いらい国連憲章と世界人権宣言、各種国際法を守り続けてきたこと——言葉で書かれた文書と権威が裏付けなのだと考えます(なのでガザの虐殺は国連の権威にとって大きな脅威です)。国連は各種宣言や条約、国際法という「言葉」で成り立っているわけです。
言葉はフィクションを作り機能させることができます。言葉、アイデアの力をより有効に使えないか、これが考えるべき方向性かなと思っております。