福島案件でも、「被災者がどう思うか」と、被災者や被害者の評価だけが絶対の判断軸であるかのように公的に語られることが多く、ずっと違和感を感じていました。
処理水の放出のときに、漁業者の判断にすべてを委ねられることに、漁業者は強い拒否感を示したのですが、それとまったく同根だと思います
被災者の評価や判断とは別に、地域の持続可能性や社会のあり方、政策決定の妥当性についてもしっかり問われなければいけないのに、そこはすべて飛ばして、「被災者がこう言っている」ですべて話を収めようとしてしまうのはすごくおかしいと思うのですが、今回のジャニーズの件でも、「被害者がどう思うのか」が前面に語れていて、これも日本社会の変なところだと思います。
こういうやり方をすると、被害者がすべて判断責任を負わせられることになってしまう。
おそらく、判断責任を自分は絶対に取らず、他人に預けるという日本人の思考習性が顕著に出ているのだと思います。