労働者の為と思われていた政党は、宗教をバックボーンにした海外から並行輸入された信仰めいたものに絡め取られ、日本最大の組合はイデオロギーに飲み込まれ、組織の維持を最優先にした結果、現状をいかに追認するかのための技術だけが洗練されいる。いや、洗練ではないな、貪汚だな。
階級を、階層を不可視化した先に何があるのか。自己決定権の尊重の前に、拒否権行使の自由を。構造を温存、固定化する前に(そういう方向にしかならない事を主張する前に)解消、解体を。各立場による権利の衝突を差別という別のイシューに引き込むなとよ。どこぞの弁護士事務所と活動団体が編み出したような戦術を迷いなく援用するなよと。キリスト教、ユダヤ教の背景持たない国で、そこに囚われた枠組みから生まれた対立構造を勝手に持ち込むなよと。労働者、そして普通に暮らしている人たちの汗や涙を消し去るな。言ってることは至ってシンプルなはずだ。