【 #ウトロ平和祈念館 訪問】
昨日9日、京都へ映画鑑賞をする前に、京都市の南隣の #宇治市 にある「ウトロ平和祈念館(以下、祈念館)」へ行ってきた。
宇治市ウトロ地区に在日コリアンの人々が住んでいたのは知っていたが、詳細な歴史をわたしはあまり知らなかった。
ウトロ平和祈念館には、ウトロに住む在日コリアンの闘いの歴史が展示されている。
ウトロ地区の始まりを簡単に書く。
戦時中、京都飛行場を建設するために連れてこられた朝鮮人労働者が住み始めたことから始まる。
戦後、多くの朝鮮人労働者は、植民地支配された朝鮮半島へ帰国できず(日本政府から財産持ち出し制限があったり、生計が立てられないことなど)、日本に留まった。
ウトロは長いこと飯場が残り、上下水道は全く完備されていない状況の中で住んでいた。そして大雨が降るたびに冠水に悩まされた。
1988年、ウトロ地区にやっと上水道がひかれた矢先に、日産車体から土地を買い取った地上げ業者が、ウトロ地区住民に対し強制退去を求められた。
地上げ業者から提訴され訴訟となったが、住民側は敗訴。
しかし、ウトロの住民は諦めなかった。ウトロの人々を支援してきた日本の広範な市民と一緒に「ウトロを守る会」を結成し、運動を展開してきた。
運動は、韓国からも政府や国民からの支援の輪が広がり、国連をも動かした。
そして2007年「ウトロ改善協議会」が発足し、ウトロが新しい街づくりへと動き出した。
ウトロ地区の歴史
https://www.utoro.jp/history
先述した通り、祈念館には、ウトロの人々の闘いが展示されている。資料も豊富で、リアルに歴史の流れを感じることができた。
しかしウトロの人々がなぜ朝鮮半島から日本に連れてこられる事態になったのかは、大日本帝国時代の「日韓併合=韓国侵略」の歴史が切っても切り離すことができない。
その歴史も、祈念館で確認することができる。
続く