死体は検屍後も放置され、5日夜半から7日までにかかって焼却された。
大島の仕事師田中某が人夫達を使役してこの仕事をすすめる。
田辺貞之助は「江東昔ばなし」に、6日夜明け、脂っこい新鮭を焼くような臭いが町中にひたひたとつつむ不気味さを書いている。
中国人虐殺は、大島町8丁目だけでなく砂町を含む大島一帯で軍隊と警官と民衆によって行われた。
大島町8丁目以外での死体は「9月12日、最覚寺院の空地に埋葬されたが、すでにウジがわいていた」と日本人人夫頭佐藤弥右衛門は9月18日王兆澄に話している(「時報」10.18)
「震災下の中国人虐殺/仁木ふみ子さん(青木書店)」より