そしてペドフィリアを排除するのなら、「何故」排除するのか。その「危険性」? 「加害可能性」? 同様のフレーズは、聞き慣れた差別の典型的なものに感じられないか。
“また、日本語圏のlgbtq+の一部にも、上記のレトリックに酷似した言説を振り翳し”とあり、タイミング的にも確実に我々を指しているが、そもそも前提が全く異なる。ペドフィリアに「加害を含める」としたコンテクストのなか、あたかも我々が性加害を容認しているかのような印象操作はやめてほしい。
あらゆる場所で性加害には明確に反対した上で「チャイルドマレスターとペドフィリアはちがいます」という前提のもと話をしているのを抜きに雑にまとめないでいただきたい。
また、「ペドフィリア差別に反対するもの」が“加害された子供や被害経験を持つ人々”である想定も全くないのも問題だろう。今回の差別に抵抗している、性加害に強く反対するものは「惹かれ」そのものが加害でないと知っている。「惹かれ」そのものを行為と直結するのはほかの属性をも消してしまってはないか(行為至上主義)