1918年、停戦条件緩和のために、無茶な出撃命令を受けたドイツ艦隊は、命令に逆らって反乱を起こし、ドイツ革命の火蓋を切ることになります。しかし1945年の日本では、戦艦大和は海上特攻に出撃し、ほぼ作戦上の意味なく三千人が死にます。この違いはどうして生じたのでしょうか。
あるいはまた、こういうことも考えられます。部下に「死ね」と特攻を命じた(志願という建前ですが実質命令です)上官は、その部下が「死なばもろとも」と特攻機で翼を翻し、自分に機銃掃射してくるリスクを考えなかったのでしょうか。どうも考えていたようには思われないのです。
日本軍で上官の無茶な命令に逆らったというと、私にはインパールの佐藤幸徳師団長くらいしか思いつかないのですが―この経緯を書いた戦記は『抗命』と題しています―無茶な作戦や特攻に対して、反乱の可能性を考えなかったとすると、どうしてなのか考えずにはおられません。