@PYU224
恒心教では「コテハンは、作戦やプロジェクト等にて個を識別する事が必要な際に、一時的に用途限定で用いるもの」という考えがありますね。
上級思想や「教祖化」する事を忌避する。
つまり教徒であれば、管理者といった重要ポジションの仮面と、一般教徒としての仮面を使い分ける事が求められる。役目を果たしたタイミングで適切に使い捨てられた仮面は、有能教徒として何かのWikiにも掲載されていますね。
こうした逆三角形の権力構造には、権力闘争や組織分裂を起こさないというメリットがある一方で、クリエイティビティの側面ではマイナスも大きい。
芸術路線の衰退は、そうした組織構造の特性による必然だったのだと思います。
であるからして、「SNS路線」の試行はとても有意義なものだったでしょう。
ところでイヒケーの系統は「コテハンに寛容」という稀有な場所でしたね。メインケーとは距離を置いた傍流であり、布教のための出島というポジションだからこそ摩擦を生まずに共存してきました。
しかし心のチンフェが漏れ出している学術教徒も少なくなく、衝突は時間の問題だったでしょう。
ここを恒心の外に出す事は、恒心教としても新たな路線開拓の模索になると思います。それでも裾野や入口になるのでSNSは必要だと思いますが親恒心な外野を増やす事は大切ですね。
裏の世界だったネットがリアルと地続きとなった事による文化の変化や、論文を連発するなど恒心教の活動がどんどん先鋭化してしまった事もあり、「恒心教=犯罪集団」というミスリードを受けて明確に距離を置く人が増えてしまいました。
「裾野や入口」はとても重要ですね。
Embed Notice
HTML Code
Corresponding Notice
- Embed this notice
karintou@misskey.kindworld.one's status on Tuesday, 15-Aug-2023 03:54:45 JSTkarintou