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あのスレッドに集まるような賞賛や感動は、実際に私たちのすぐ横で過酷な環境の中で少しずつ美しさや喜びを見出したりもしながら生き延びようとしている/いたひとに、どれだけ向くのだろうか、そのひとが生き延びる助けとなるために何かひとつ小さいことをする力に、どれだけなるのだろうか。
あのスレッドに人々が、私が、引き込まれるのは、そのひとが「ちゃんとした」人っぽくていかにも文化的で紳士的で、そして何より山手線だの東横線だの銀座線だので自分の横に座っていないからではないだろうか、そうではないと言い切れる自信が少なくとも私にはない。
少なくとも平野さんはその人が紳士的で文化的で高尚な精神の持ち主だということがわかるより前に、その人の横に座って言葉を交わしていた。私があの🧵から受け取るべきなのは、そこなのだと思う。
そしてあの🧵を読んだ人には、この記事を読んでほしい。「小山さんノート」の話。私たちが良い話に感動したりしているうちに亡くなってしまったひとの話。