平野暁人さんのこの鳥板🧵、心打たれつつ読んで、それからそこについているコメントを読むうち、なんだかやりきれなくなった。
平野さんはまったく悪くない。
ただ、小さいコメントの量が集まるうちに、一つ一つのコメントは「良い話だな、心打たれるな」という素直な感慨を表明しているに過ぎないのだけれども、そこに浮かび上がるのは、フランスで、(外見からは予想できないような)文化的な背景と知識とテイストと、自己の矜持を維持する強靭かつ高尚な精神を持った路上生活者への賞賛で、それは凄いんですよ、凄いんです。私も凄いと思ったし心動かされたし、そこには何の異論もない。
でも、例えば、パリではなくて私たちの地元である日本で、「アヴィニヨンの演劇祭」に言及する代わりにチェーン展開のカフェを「フランス」と呼んで通い、なけなしのお金で「ル・モンド」を買う代わりに大学ノートを買って日々の思いを書き留め続けたホームレスの女性は、同じ感動をもたらし賞賛を惹きつけるだろうか。
「良い話」が「私たちの隣人」として生きていたとき、私たちはどうしていたのか。
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https://twitter.com/aki_traducteur/status/1686866321319882752