「ファシズムの教室」という本。
先日「ひとは間違えないと学べない」とここで発言したが、
この本ではわざと集団が暴走しやすいシチュエーションを学生たちに実演させること(同じ服装で同じことをやらせる、リア充を集団で攻撃させる、など)でそれを叶えた内容になっていて、タイムリーにもほどがある。
私のフォロワーさん中心に、ファシストの気持ちが整理できない(わかりたくもない)、というひとは多いと思われる。そんな人とこそ共有したい。
一体感・爽快感・高揚感。
これらは通常日常のすぐ隣にある
(祭・応援・ライブなど)
おそらく場合によっていじめもこの一例になりうるだろう
これらの感情と権威とが結びついた時にファシズムが生まれる
そして責任感の麻痺が起こる。
つまり
・「上からの命令だから」「みんなやっているから」
・従ってさえいれば自分の行動に責任を負わずに済む
ゆくゆくは
・従ってさえいれば何をしても責任に問われないという「自由」を感じるようになる
いつからか、攻撃・加害も平気になる
責任感のマヒから正義の暴走が起きていく。
・敵対者は悪(一体感)
=攻撃は正義(爽快感)
=自分たちは善(高揚感)
「自分たちは善」という感情は仲間を庇い、自分も守られたい。というまちがった連帯・一体感につながるという意味で自省のタイミングが来て疑っても、結局再びこれを強化してしまうと思われる。
・抑圧された攻撃衝動を発散できる
・正義の執行者として自己肯定感・万能感まで湧いてくる
こうしてファシズム側にとって
敵や異端を攻撃することは
胸躍る体験にもなり得ていると考えられる
そしてこれは
近年のヘイトスピーチや
排外主義者も見出している「魅力」ではないかとの推察。
筆者の田野大輔氏は
流されず異を唱える力を育むためにも
「体験学習を通してこの危険性に気づかせる取り組みがより一層必要」と結論づける。