是枝監督が「まちがえないと学べない」とインタビューに答えてらっしゃったの、謙遜などの世渡り的要素もあるんだろうけど、すごく励みになって。ある程度のまちがいを「まちがいだよ」と指摘された上で許容された環境の方が長い目でまちがいにくいんじゃないか、と思ってるし、脳の異常な消耗をだれもが防げると思っていて
まちがえる=踏み続ける はもちろん避けたい
だれもが何かのマイノリティであり、何かのマジョリティで。
果てしなくある、「まちがえたらあかん案件」の明確な共有ができるぐらいの健全な情報インフラの流通と
まちがえたら当事者でない人も指摘しあえて、悪の道(ざっくり)ではない方向に導きあえる
これが理想かなぁ