反差別の実践が別種の差別(排除)を生んでしまう可能性について理解しているのなら(顕著な例としてトランス差別があるのはすぐに思い浮かぶはず)、その実践のありかたや仲間内でのエンパワメントの方法に対して慎重になる必要があることも理解できるのではないか。過激な主張をするな、みたいなことではない。過激な主張・方法と「別種の差別(排除)を生み出さないこと」は両立するはずなので、それを目指そうということ。
そのようなことを念頭に置いたときに、著者がモルモン教徒であることを言及したほうがいい、という指摘に対して軽率に拒絶を示したことは確実に間違いだったし、その後の争いは編集や訳者と批判者の枠組みを超えて多くの者に影響を与えてしまっているわけで、その争いがもたらすエンパワメントと嫌悪感が、果たして「望まない妊娠をなくすこと=女性差別をなくすこと=あらゆる差別をなくすこと」という目的にかなうものになるのかは疑問だし、たとえそれが叶ったとしてもその過程で新たな差別/問題を生じさせるのなら、やはり無批判に喜べるものにはならない。
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R sekiguchi (gucchi_penguin@fedibird.com)'s status on Friday, 21-Jul-2023 19:54:50 JSTR sekiguchi