・被害者やマイノリティに反差別を押し付ける日本型反差別から、社会の一員として差別に抗議していく、さらに資本主義と闘うグローバルな反レイシズム運動と連帯する道を目指す
“私が差別について語れなくなった理由は、けっして個人の問題ではない。在日コリアンが差別について沈黙を強いられているのはヘイトスピーチのせいではない。社会正義としての反差別規範なしにマイノリティを承認しようとする多文化共生や、差別する自由を守りつつ被害者に寄り添おうとする日本型反差別こそ、私たちの絶対的沈黙状況を背後から支える権力関係なのである。
日本型反差別は己の正当性を確保するために、マイノリティを「差別の真理」を生む「生産手段」にしてしまう。これこそ当事者に本心から被害を語るよう駆り立てて心身をすり減らすが、反レイシズム規範形成に一向に結びつかないという、権力が仕組んだ恐るべきワナなのである。”
“もうこれ以上、マイノリティの被害と歴史を消費してほしくない。”
・この指摘とあわせて本当に大切だと思う
“(略)マジョリティが差別の判断規準をマイノリティに押し付ける一方で、その『解釈権は聞き手であるマジョリティが握る』。そうなると、マイノリティはマジョリティに受け入れられる程度の被害しか語れなくなる。反差別運動の現場でさえ、マイノリティが差別を告発する際には「お願いします」「助けてください」という口調になるのは何の不思議もない。”「第四章 反レイシズムという歯止め」