セクシズムと一体のレイシズム
第七章 ナショナリズムとレイシズムを切り離す
“バリバールはレイシズムが「常に他の差別と絡み合って」いることを強調し、「人種差別はつねに性差別主義を前提」するとした。そのような他の差別との絡み合いは「むしろ相互補完的な排除と支配の歴史的システムを示している」。”
・それぞれの選択ではなく、あらかじめばらばらにされている。
“(略)資本主義の人間を統治する権力の戦略のなかでレイシズムやセクシズムや他の差別は、むしろ互いに切り離すことができないほど絡み合っており、人種や性や性的指向や階級や障害などの無数の従属に縛り付けることで集団としての人間を分断し統治可能にする。”
・この箇所はトランスジェンダーへのヘイトでも繰り返されていると感じる。家父長制下のセクシズム、「女子供」を守る「男らしさ」を発露して承認されたい。恐ろしい何者かが力ない私たちの安全な場所に乗り込み、荒らし回ろうとする。そういう型の煽動。マチズモとミソジニー。
だからこそ、今日の判決はとても大切だったと思う。(追記:一方で、性欲、性衝動と性犯罪は関係ないのでは、と思う)
“米国で人種隔離体制が確立される際に役立ったのは、黒人男性が白人女性をレイプする犯罪者だとするステレオタイプだった。
これは人種混交への恐怖を掻き立てるレイシズムと同時に、女性の貞操を男性の所有物とするセクシズムによる煽動であり、奴隷である黒人女性を従属させるための白人男性によるレイプの頻発という実践に支えられていた。”
・国士舘極右による朝高生襲撃事件(男性被害)とチマチョゴリ事件(女性)。極右のマチズモとミソジニー「女を殴る男は恥だ」、庶民の自然発生的レイシズム暴力の対象、より弱く識別可能な「チョゴリ」という制服を着用した「女性」。この二つはレイシズムとセクシズムとして矛盾しない。
繰り返し指摘されているように、反レイシズム規範の確立が本当に必要だと思う。