トークの中で、女子トイレの話題について、「女装したおじさん」をモンスターのように規定した上で「そんな人が入ってくるんですよ!」と怖がらせようとする文脈の問題点も指摘されていました。
わたしもまた、トランス差別に反対しながら女装する男性のことを差別していたのでは、と気づきました。
女装する男性たちもその文脈の中で傷ついていて(沈黙して)、自分はそこにまったく気づかない人で、と想像し、帰りの電車でそのことをずっと考えました。人は自分の加害には気づかないのだな。お互い。
対話する人どうしが他者で、聞くわたしも他者だからこそ見えたことが多かったです。