そうした若い世代の特異性の象徴として、そして若い世代の中でも特殊な存在の象徴として、スレッタとミオリネの同性愛的な描写があるのだけど、同時に同性愛を作中社会の中で特別なものとして描かない真っ当さが、その同性愛の象徴化という問題性と異常さをむしろ浮き彫りにしていて、同性愛を作中社会では当たり前のものとして描けない(そして主人公であり第一話では視聴者の視線を導入するスレッタはそれに驚くという形で現実との重ね合わせがある)結果として、ここでまた妙な真っ当さの結果あらゆる恋愛関係が平等に暗示にとどまるという描写が出ているのかもしれない(でも結婚して子供はうまれる)。ただそれは作品内で完結しているかに見える作中描写が、実のところ現実における偏見や思い込みを利用していることで裏切られるのだけども。
ただ、同性愛を当たり前として描こうと少なくとも試みたこと(少なくとも作中人物は誰も否定や差別をしない。それはそれで不思議とうか曖昧な誤魔化しでもあるけど、曖昧さによる和解の成立という点で一貫してるのかも)、そういう真っ当さはキャラクターデザインの多彩さに現れていて、その点は美点でもあると思う。
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近藤銀河 (spiralginga@fedibird.com)'s status on Monday, 03-Jul-2023 21:09:27 JST近藤銀河