『水星の魔女』の最終回は、『水星の魔女』がどのような物語だったのかを逆に示していた。『水星の魔女』の特にS1では様々なテーマが提示されるかに見えたけど、それらのうちどれが『水星の魔女』のテーマだったのかを、最終回は語っている。
社会を構成する資本主義の常識の外側から来たスレッタ・マーキュリーという女性が、資本主義に禁止された技術を使って魔法を起こし(歴代ガンダム的であると同時に魔法モノ的である映像)、資本主義の枠組みの中でオルタナティブな未来を志向する女性たちに奇跡を見せる。それによって、死者と生者が語り合い、殺されていった弱者の怒りを若い世代が責めるのではなく、その声を聞いて無力故に可能性のある和解を築き、同時にその新しい社会の可能性が家族という旧来の枠組みをそのままにした新しい家族が作られることで示される。
『水星の魔女』とはそのような物語であった、初めからそのような物語を目指していたのだ、と最終回は語る。あるいはそれだけはせめて回収してみせた。実際、『水星の魔女』がそのような物語であることは否定できないし、その点ではうまくやってみせたのかもしれない。
一方でそれは様々な属性への差別や関係への差別を巧みに利用し、同時に曖昧にすることで成立した物語でもあった。
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近藤銀河 (spiralginga@fedibird.com)'s status on Monday, 03-Jul-2023 20:45:20 JST近藤銀河