→若いというだけでマイノリティでもある。しかし、自らのメジャー性(マジョリティである性質)も帯びている。交差している。そんな若者たちに、踏み込んだ学びへと関与することは、本当に危ない。そんなふうに感じる。
梶谷さんの哲学対話実践、ほぼ全面的に依拠しているのだけど、「何を言ってもよい」というルールは採用しないでいる。ぼくもオンラインの哲学対話に関わっていた時期があり、このルールが危うい、と感じる瞬間があったから。
ここで言う危うさは、まず、マイノリティに対する危うさ。と同時に、最近思うのは、傷つくマイノリティだけでなく、傷つけるマジョリティの危うさも感じる。加害性を生じさせることのリスク。
梶谷さんの掲げる自由は、まだ、抽象的な気がしている。切れば血が出るような、人を相手にした自由になりきっていないのではないか。確かに他者は必要だが、抽象化し観念化した人間観による他者ではなく、切れば血が出るような他者として、自由を構想すべきではないか。→