→ベル・フックスの言葉を、たびたび思い出す。フェミニズムや人種、階級に関わる学びを学生さんに提供すると、学生さんたちが、辛そうになっていく、と。それまで見えてきたものが変わって見えてくる。
また、『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』でも、似た構図の場面があった(夜話参照)。ぬいぐるみにしゃべる。世の中の理不尽さを言語化する。すると、辛くなっていく。
フックスが言うように、それでも、こうした出会いは必要なのだ、とも思う。それは見ないようにしていただけで、ずっとマイノリティはあった現実である。それを見ないように隠すことは、単に、マジョリティが目を背けていることの追認でしかない。マジョリティには安全に感じても、マイノリティには危険でいっぱいの日常なのだ。だから、暴く。暴くことこそ、公正である、と。
ぼくが学生さんたちの学びに関与しようとするなら、このフックスに依拠した発想になる。
だから、危険がいっぱい。『ぬいしゃべ』でも、繊細な若者たちが、想像力を拡張させ、ケアが過剰化して、受傷性を高めてしまい、生きるか死ぬかの状況に置かれていた。→