『ちくま』7月号で、蓮實重彦が「マイナンバー」という言葉の胡散臭さを指摘している。識別の主体は行政で、番号を割り振ったのも行政であり、そこに個人の意志の介入する余地はないだろうと。それをマイナンバーと呼ぶことで、個人の能動性があたかも存在するかのように思わせられ、そして新聞とテレビは「マイナ」という醜い(と蓮實は言う。たしかに醜い)略語を連発することで、ありもしないフィクションの成立に加担したと。