先刻、1940年にソウルに地下鉄ができたという妄言を中山成彬がしたという件についてツイートしましたが(註:本投稿はツイッターの転載です)、その中で当時「満洲国」の新京に地下鉄計画があったらしいという話を書きました。で、そのうろ覚えだった出典を見つけたので追記します。まず一つお詫び。新京じゃなくて奉天でした。
出典は三木理史先生の著書でも『近・現代交通史調査ハンドブック』ではなく、『水の都と都市交通 大阪の20世紀』成山堂書店 の序章でした。大阪市の公文書館に、奉天地下鉄計画案をまとめた史料が保存されているというのです。
これは1940年に、ようやく地下鉄を開業して間もない大阪市電気局が作成したもので、大阪市が実現していた都市計画を「満州国」に輸出し実験しようという意図と見られます。奉天でも地下鉄は市内交通のみならず、御堂筋線の中百舌鳥のように郊外との連絡も視野に入れて計画されました。