どうも最近私は疑っているのですが、なんとしても(実質的に)男の姓を女性に押し付けようとしている連中の脳内では、それは女性を「征服した」というトロフィーなのではと思うのです。あたかも家畜に自分の農場の焼印を押すがごとく、自分が「得た」女性に自分の姓という烙印を押すのだと。
こうでも考えないと、家産も家業も失って近代家族化した現代の日本で、姓を揃えさせるという発想に固執する意味が分かりません。もっとも、家産や家業が重大問題だった近世日本でも、屋号はイエにつけても、苗字は結婚しても揃えなかったらしいですが。