@sierie 平野さんの文章の紹介ありがとうございます。
仮託という言葉が印象的でしたが、物語において必要な感情が仮託されている状態を伴うことによって、ようやくある体験は十全な体験として消化され、経過されます。
仮託を伴わないそうでない「体験」は体験以前となってくすぶりを残してしまう。むしろそのくすぶりが自意識の正体ではないかとも思ったりしました。
仮託することは、「かのように」体験することであり、「これが自分だ」と強固に決めている自己像の鎧から離れて体験することともいえるのかもしれないと思いました。
スーザ牧師の言葉を思い出します。
ーー
幸せは旅であり 目的地ではない
踊りなさい 誰も見ていないかのように
愛しなさい 一度も傷ついたことのないように
歌いなさい 誰も聴いていないかのように
生きなさい この地上が天国であるかのように
ーー
Alfred D' Souza