『欲望という名の電車』の本が届いたので読み返していた。
最後の問題のシーンは、以前読んだ時の記憶に間違いなかった。これをどう解釈したらレイプではないということになるのか理解できないと思った。自分があれこれ考えていたエントラップメント型ということでもなく、ブランチは記憶通り、怯えつつスタンリーにはっきり「NO」と意思表示していた。
作者の側に立って考えると、「書いてないことを書いてあったことにされる」のも辛いし、「書いたことを書いてなかったことにされる」ことも狂おしいと思う。しかもテネシー・ウィリアムズは亡くなっていて「NO」と意思表示できない。
これが小説の感想や評論であれば、単に誤読だ。でも戯曲の演出には異なるルールと倫理観と自由があるのだろうか? 業界が違い、素人なのでそこがわからない。わからないのだが、説明し難い形の動揺と悲しい気持ちがある。
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桜庭一樹 (sakurabakazuki@mstdn.jp)'s status on Thursday, 19-Jan-2023 00:02:07 JST桜庭一樹