テネシー・ウィリアムス『欲望という名の電車』の映画を、19歳のとき教育テレビで観た。ヒロインのブランチの「私は見ず知らずの方の好意に縋って生きてきたんです」という台詞で泣いたのを覚えている。
それから戯曲も読み、長らく傑作だと思ってきた。
でも今年、文学座の公演を観て、「この作品はもうやってはいけないだろう」と思った。一人の女性を露悪的に描き、その人が性的暴行を受けるところをカタルシスを置いている。許されないことだったと。
昨今、古典の再演で、作品の瑕疵を演出で批評する、的なのをいくつか観た。たとえば『夏の夜の夢』を、ユーモラスっぽく消費されていた四番手の女性(じゃない方の女の子、的な)を主演にすることで丸ごとひっくり返すとか。『シラノ・ド・ベルジュラック』で、単純なマドンナ役だったロクサーヌが、自分の考えや恋愛観を主張するオリジナルシーンを入れるとか。
これらの舞台はとても好きだったのだけど、でも『欲望という名の電車』は根本が間違っているからどうしようもないではないか……。
長年愛してきた様々な古典とも訣別の時がきていると思う。
そんな2022年だ。
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桜庭一樹 (sakurabakazuki@mstdn.jp)'s status on Thursday, 19-Jan-2023 00:02:08 JST桜庭一樹